お盆。

連休最終日、お盆を前にお墓参りをしてきました。

 

コロナ禍ということもあり、ほとんど家とお墓を車で移動しただけではありますが、職業柄どうしても共同住宅などに目がいってしまいます。

 

吊るされたカーテンなどからおおよその稼働率を割り出しては、

 

オーナーさんは、とても困っているか、もうどうでもよくなっているかのどちらかなのだろう。

 

と想像してしまいます。

 

ご先祖様から引き継いだ物件で、「家賃が入れば儲けもの」的な大家さんであれば何も問題はないのでしょうが、「(賃借人が)入れば(利回りが)ブン回る」と鼻息荒く融資をひいたオーナーさんであればたまったもんじゃありません。

 

投資は自己責任であることに異論はないのですが、キャベツをひとつ買うのとは訳が違うので「売り手」の責任もその手法によっては(道義的には)免れないでしょう。

 

ただ、いくら道義的な責任は免れないとは言え、経済的な責任はどうしてもオーナーさんにきてしまいますので、やはり購入は慎重になさった方がいいと思います。

当たり前ですが。

 

それでも「融資環境がよく、バンバン売れている状況」を目の当たりにしてしまうとつい焦ってしまうのもとてもよく理解出来ます。

 

流動性(換金性)の高い株式などですと、じっくり待っていられない性分の私としては、まったく人ごとではありません。

 

そういう意味においては、相対的に流動性の低い不動産というのは私には合っているのかもしれません。

f:id:BaseCompany:20210810193657j:image

よく聞く、「出口(売却)で不動産投資の成否が確定する」という話もまったくもってその通りだと思います。

下手をすれば、所有している間に頂戴した家賃を全て吐き出す可能性や損切りをさせられる可能性があるわけですから。

 

そう考えると、個人的には

 

(シビアな出口を想定した)入口でほとんど成否が決まる。

 

と言って差し支えがないと思っております。

 

長い事この仕事をしていると、つまるところ

 

いつ買ったのか

 

というのが一番大きく、そして強力なファクターなんだと痛感させられるからです。

 

とは言え、会社ですと数字を作らないといけませんので、「買わないわけにいかない」という状況が生まれます。そしてそのように買われた物件は、今度は「売らないといけない」という物件に生まれ変わり、その会社や、その手法によっては、また「新たな被害者」を生んでしまうのです。

 

なんだか堂々巡りのような気がしないでもないですが、会社ならいざ知らず個人のかたは(特殊な事情がない限り)「買わないわけにはいかない」ということもないでしょうから、

 

待てるものなら時を待つ

 

というのが結果的には成功への近道なのかもしれません。

 

それでも売主さんの色んな事情から「いい物件がゼロ」になることはありませんので、体力(経済力)を温存しながら、きちんと物件を見定めたうえで購入するのはもちろんアリだとは思います。

 

ひと昔前とは違い、「いま」購入している方はそのへんの見定めがきちんと出来るひとたちだとは思いますが、それでも将来にわたって「もうちょっと待てばよかった」と思う可能性を完全に排除することは出来ません。

 

買いの大きなファクターが「時」である以上、やはり売りに関しても「時」が重要になってくるのは当然といば当然なのでしょう。

 

幼い頃、祖母の亡骸を目にして、

 

不自然に静止している

 

と思ったことをよく憶えています。

生きていることは、「動く」ことなのでしょうし、そういった定めのなかにあっては「待つ」という行為はもしかしたらとても難しいことなのかもしれません。

それが生物学的な問題なのか、あるいは単なる性分のかは知りませんが私の場合はおそらく性分によるものなのでしょう。


f:id:BaseCompany:20210810193937j:image