運。

おかげさまでここのところ忙しくブログの間隔がだいぶ空いてしまいました。

(信じて任せて下さったオーナー様、物件を気に入って買って下さった買い主様、ブログを待って下さっていた方々にこの場をお借りして改めてお礼申し上げます)

 

長年この仕事をやっているとつくづく不動産って縁物だなーと思います。

 

「いつにいかなるときも全ての物件でお役に立てる」といった不遜なことを申し上げるつもりは毛頭ないのですが、「このタイミング(状況)でご相談を向けて頂けたのは何かの縁なのかな」と思うことは結構あります。

 

弊社として出来ることを明確にお伝えした上で、「お任せ」頂けたときはもちろん嬉しいのですが、その期待を裏切らないようにするためのプレッシャーもものすごくあります。

 

やはり信じて下さった方の期待にはどうしても応えたいと思って動きますので、それが無事に完結したときの安堵感はとても深いものがあります。


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そんな一連の取引のなかでよく感じるのが「運」というものです。

もちろん、いろんな事象に運はつきものなのでしょうが、不動産という(多くのひとにとっては稀な)取引においては、より「運」という要素がクローズアップされるような気がします。

 

もちろん悪いよりはいい方がいいに決まってる運ですが、私にとってはどちらかと言うと「縁」に近い感覚でそれを受け取っています。

 

ここ最近の取引では、一般の方が買われる値段で業者に買ってもらったりすることも多かったのですが、売主様にとっては契約不適合「免責」など手離れがいい上に、融資がつくつかないでやきもきする心配もありませんので、条件さえ揃っていればよくお勧めしています。もちろん弊社で購入もするのですが、同じ業者でも好みや得意分野がありますので、その都度、最適と思われる方法を提案させてもらっています。

 

個人投資家へのアパートローンが厳しくなったこともあり、ひと頃に比べて「即再販」業者もだいぶ減りました。買ったところで売り先のローンが厳しいのでそれも当然の流れかと思います。

 

なので、同じ業者でも中長期で購入(保有)を進めているところも多く、そういった所に買ってもらえるのは売主様にとっても、いい話だと思っています。

 

一時期の「融資がじゃぶじゃぶ」の頃は、得たいの知れない業者が跋扈、というか市場をだいぶ荒らしておりましたが、その頃に比べればだいぶ落ち着いた市場環境になったように思います。もちろん「行儀の悪い会社」がなくなったわけではありませんが、当時、我が世の春とばかりにイケイケだった輩たちはいったいどこで何をしているのでしょうか。次回に備えて日焼けサロンでこんがりと肌を焼いているのでしょうか。

 

融資環境が変わればまたぞろ現れてくるのはこれもまたいつものことですが、そう考えると融資環境が厳しいのもあながち悪いことではないのかもしれません。

市場が荒らされない上に被害者が量産されないわけですから。

 

そんな比較的落ち着いた環境下でお取引をさせて頂いていると、「運」を持ってるなーと感じるひとにお会いする機会が増えるような気がします。

「欲に目の眩んだ」環境ではないからそうなるのかもしれませんが、不思議と共通点があるような気がします。

 

当たり前ですが、年齢も違えば状況も違いますし、そもそも物件が異なります。

 

それでも共通しているのは、「警戒心が強すぎない」ことです。

 

先ほど申上げた通り、会社の大小に関わらず行儀の悪い会社はありますので、警戒心は解いてほしくないのですが、それが過度だと相手の気持ちも動きませんし、結果として、良い「縁」まで遠ざけているように思います。

 

その頃合いみたいなものは頭で考えると難しいのですが、なんとなく「権利意識の強弱」に繋がっているような気がします。

 

同じ運賃を払っているのだから「座らないのは損」とばかりに電車内で椅子取りゲームに興じているひとよりは、多少の損には鈍感なくらいのひとの方が結果として得をしているように思えてなりません。

 

だからなのか、実際に運を持ってるなーと思えるひとたちは、皆さん人としての余裕がどこかしら感じられます。

 

誰かが「運」は「運ぶ」ものだと言っておりましたが、運ぶどころか、運ばれる前から自らで遠ざけてしまうような振る舞いは避けていきたいものです。

 

欲に目の眩んだ状態で無理に結んだ縁は、良縁にならないことが多いような気がしますが、動くべきときにさっと結んだ縁は結果として良縁になるような気がします。

 

無理なく、自然体でいるのは、口で言うほど簡単なことではないのかもしれませんが、私自身、そういった方々から大いに学ばせてもらおうと思っております。


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ぶら下がり。

小さい頃わが家にもあったぶら下がり健康器ですが、最近ではあまり見かけることもなくなりました。

あれだけ場所を取ってインテリアにもならないものが全国津々浦々にまで浸透した事実を考えると、当時の販売戦略や時流みたいなものに感嘆すら覚えます。


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不動産業界においても「ぶら下がり」というものは存在し、とくに売り急いでない物件を「これで売れたらラッキー的」な金額でREINSやネットなんかに情報を公開しておくことを「(物件を)ぶら下げておく」とか言ったりします。

仮にその物件で成約はしなくともお問い合わせなどで、業者や個人の方と新しいご縁ができることもあるので一石二鳥なのです。

 

業者としては理解出来るのですが、個人の方と売却の話をしていて「すでに別の(大手)不動産会社に依頼しているのだけど」言われると、私の頭の中にはだいたい二つの情景が頭に浮かんできます。

 

【(大手)不動産会社誘導パターン】

 

オーナー様がなんとなく安心と大手不動産会社に出向き、それらしい査定表をもとに値付した価格でネット上に公開されているものの、周辺の売却事例などをメインに金額を組み立てているので「土地値」に大きく偏っていることが多く「この利回りではまず売れないだろう」といった金額のまま、ネット上に晒され続けている。

 

※収益物件の場合、賃借人付の建物が建っていることが大半なので、「その土地値」にするためには、入居者の方々に(現金供与などをして)引っ越してもらい、建物を解体して整地・測量をして、はじめて「その土地」になります。そこに至るまでには多大な費用や労力と時間がかかりますので、それをどう捉えるかによって判断はわかれます。そして何より(本当に)強力な借地借家法に守られた入居者のたったお一人でも非協力的であった場合「その土地」は完成しませんので、土地値に偏り過ぎて利回りが弱いと「収益物件であるにも関わらず」個人投資家の興味を引かなくなってしまいます。

 

しばらくすると「売れなかった既成事実をもとに」(大手)不動産会社が値下げの「ご提案」をしてきて、渋々ご納得して頂いたオーナー様の物件を売れるまで、色褪せるほどに晒し続けることになります。

 

これまでのブログでも書いてきたように、収益物件は「(情報)ルート」と「鮮度」が命ですので、まったく逆の現象が起きてしまいます。

 

【オーナー様誘導パターン】

 

相場観のあるオーナー様が大手不動産会社に出向き自ら金額を提示したのはいいが、「自らの」相場観があり過ぎるせいで「きっとこれくらいなら売れる」という思い込みが強くてとても頼もしいのですが、多く場合は「自分が買った値段」や「あまりに希望的な欲」に拘っていることが多いので、(大手)不動産会社の接客スペースで尊大な態度を取っている姿がなんとなく目に浮かんできてします。

 

もちろんそこは大手たるもの、そういったお客様でもお引き取り頂くわけにもいかないので、オーナー様のご希望通り妙に小刻みな3,988万円などで図面を作成し、それをネットにアップして…

と、そこから先はいつもと同じ流れです。

 

ただオーナー様主導の場合、(大手)不動産会社から「値下げ」のご提案をする前に「どうなってるんだ!」となりますので、「ご提案」にまで辿り着かないことが多いかと思います。

 

そもそも「ご提案」をしたところで耳を持って下さるかもわかりませんが。

 

そういった物件が載っている(大手)不動産会社の自社ホームページなどを拝見すると、若くてフレッシュな営業マンが担当していることが多く、センター長などから「経験を積まされているんだろうな」などど勝手に妄想しています。

 

業者の場合ですと「その物件」をきっかけにして新しいご縁が生まれることもあるので、「ぶら下げておく」ことも悪いことばかりではないのですが、個人のオーナー様が、自ら、もしくは(大手)不動産会社主導でそれをやることをメリットはどう考えてもないと思うのですが、実際には全国津々浦々で同じようなことが繰り返され続けています。

 

わが家にあったぶら下がり健康器はやがてクリーニング屋から引き上げてきた洋服の引っ掛け場所になってしまいましたが、不動産に関してはやはり「売れるときに」「売れる値段」で売っておくのが一番よろしいかと思います。


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大手信奉。

先日のブログ「入口と出口。」にも関連したことを書きましたが、収益物件の売買に関しては『大手=安心』とはならないので是非ともご注意頂きたく思います。

 

所詮は小さな声かもしれませんが、そんな小さな私たちのところにも「被害」に遇われたかたからの相談がよくきます。

 

今日も某財閥系の大手不動産がやらかしてくれました。

 

都内某所の築古アパートで、「どうにかならないか」との相談でした。すでに大手に専任を出しているとのことだったのですが、その契約期間も間もなく切れるとのことです。

 

「専任」である以上、当然レインズ(業者間情報システム)載せなければならず、さすがにそこは「大手」だけあってレインズには載せていました。

 

売却希望価格の1700万うえで。

 

「これじゃあ、お客様を抱えている業者が物件を紹介できないでしょ」ってことなのですが、そうなんです、

「紹介させないために」

こんなことをするんです。

しかも平気で。

まるで伝統芸のように。

 

いくら実際に買ってくれるお客様を抱えている会社があっても「どこぞの業者と手数料を分けあいたくない」からこんなことをするのです。そういったところにしてみれば、仲介とは「両手(売主様、買主様の双方から仲介手数料を頂く」ことであり、素早く売却するために業者間で協力しましょう、なんて気はさらさらないんです。

 

彼らにとって、

「両手で決まる金額」が「成約価格」

なんです。

 

もちろん自社で内々に話を進められればいいのですが、実需がメインの大手不動産会社ですと、収益物件をお探しのお客様をそんなに抱えているわけではないので、とりあえず「専任」もしくは「専属専任」をとってからお客様を探し始めるようなところが多分にあります。

 

少なくともこの物件に関しては(実力があったので)そんなに苦戦を強いられるはずではなかったはずですし、晴れて新たな買主様に引き渡すことが出来た暁には、開示義務のある「レインズ登録証明」と「実際にレインズに登録されている情報」の照合(注1)をオーナー様にはしてもらいたいものです。

(注1)希望値でレインズに登録した証明を売主様に開示し、すぐ様(他社付け出来ないように)変更登録をかけてきます。


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だいたいごく一部を除いて「収益物件」のことをよく分かっていない大手仲介会社が多すぎるように思います。もし分かっていないという言葉に語弊があるなら、「収益物件の実際」に置き換えても構いません。

 

だからなのだと思いますが、数多くの収益物件を手掛けてこられた個人投資家さんになればなるほど「大手信奉」みたいなものはありません。

 

そのへんは少しお話させて頂くだけでだいたい分かります。

 

業法的に「専任」「専属専任」を頂いた以上レインズに載せなければならないのですが、名だたる大手がこんなことを率先してやっているんですから、つい「気をつけて下さい」と言いたくなってしまいます。

 

そんな1700万アップの話をしていた直後に別の「ご相談」電話があり、再生の必要がなさそうなので、(価格が高くなる)「仲介でお力になることも可能です」とお伝えしたところ、「仲介なら大手に頼む」の一点張りでしたので、「もちろんオーナー様の自由なので止めませんがくれぐれもご注意下さい」とお伝えしました。

 

少しでも伝わっているといいのですが、きっと伝わっていないのでしょう、たぶん。

 

そうやって、内々でお客様を着けることも出来ない大手は「物件を晒し物」にした挙げ句、買価を少しずつ下げていって『売れ残り物件』が完成します。

 

収益物件に慣れた投資家さんはそういった物件に見向きもしないばかりか、「こんだけ売れてないんだから」とばかりにきっつい指値を入れてきます。

 

この段階にまで来てからようやく「どうにかなりませんか?」との相談を受けることも多いのですが、正直、もう少し早く相談してくれれば良かったのにといつも思っています。

 

大手だから安心と思いたくなる気持ちも分からなくはないのですが、その「寛容さ」が「デキる」と勘違いした大手上がりの営業マンを育てていると言えなくもありません。実際のところ収益物件をメインに扱う業界のなかで、大手上がりの営業マンが活躍しているところをあまり見かけることはありません。結構流れてはくるのですが。

 

私としてもそれぞれの段階に応じて「お力になれそうなこと」をお伝えはしているのですが、あっさり信じて下さる方もいれば、「まったく聞いて下さらない」方もいます。

 

よく「信」じる「者」は「儲かる」などと言いますが、その言葉が嘘に「ならないよう」私自身にプレッシャーをかけていますが、「注意」の方も怠りなく促していきたいと思っています。


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入口と出口。

「道というのは入口と出口があって、そこを辿っていけば然るべき場所に行きつける通路のことだ。」

との一文が村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にあったように記憶していますが、不動産投資について考えているときにもよく思い出したりもします。

 

俗に言う「出口戦略」というものはとても大事だと私も思うのですが、「入口」次第で「出口」が大きく変わってしまうことを考えると出口以上に入口が大事であることは言うままでもありません。

 

土地神話が生きていた頃には入口を多少間違えてもある程度の出口は想定しやすかったと思いますが、その反面、神話があったぶんだけ余計に入口に対する注意が(本来的には)必要だったはずです。

 

そうは言っても神話に支えられた値上がりに飛びつきたくなってしまう気持ちも分からなくありません。

当時そういう言い方をしたかは知りませんが今で言うところの「持たざるリスク」という煽り渦のなかにいたわけですから、非常時における常識はやはり非常識だったのかと思います。

とはいえ「取りに行かないリスクのことをリスク」とも言えるわけですから、時は変われどつくづく物は言い様なのかもしれません。


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無理をして入ったは入口は後々まで尾を引きます。

投資期間を中長期に変えることで何とかなるときもあれば、何ともならないときがあります。

その無理を解消しようと設けられた出口はもうお世辞にも「戦略」とは言えないものになります。

 

運よく売却できればいいのですが、そうでない場合は、(売りたいときにすぐに売れない)不動産投資のデメリットである流動性低さがここぞとばかりにネックとなってきます。

 

入口を間違えたと何となく分かっているひとでも、やはり基準となるのは「自分が買った値段(入口)」ですので、私の方から「今その値段で売るの難しいですよ」とお伝えしてもなかなか素直に聞いてもらえないこともよくあります。

 

もちろんすぐには聞き入れられないことも仕事の内だと思っているので構わないのですが、媒介(売らせて頂く契約)を取りたいがために「とても売れるとは思えない」査定金額を提示する仲介会社の方が私としてはよほど信用なりません。

「売れない金額で」情報を世間に晒した挙げ句、「反響がいまいちなので(買価を)下げましょう」って、大事にな物件に対して『売れ残りシール』をベタベタと貼っていることに等しいんです。

 

誰がそんな物件を買いたいと思います?

 

そんなことをしたら売れる物さえ売れなくなってしまいます。

 

長年、収益物件の仕入をやってきたからなのか、仮に入口を間違えていなかったとしても「出口」はとても慎重に行います。それこそ裏口からこっそりと出て行くような気分です。

 

そして人目のないところで「それを買いたいひと(もしくは会社)」にこっそりと引き渡します。そうすることで物件を晒し物にすることなく、多くの投資家さんが望まれる「未公開物件」を新しい買主様に引き継いでもらっています。

 

入るときはとても慎重なのに出口はものすごくダイナミックに出て来られる方によくお目にかかるので出来ることならそれは止めたほうがいいように思います。

 

なんだか勢い任せに玄関扉を閉めて母親に怒られた遠い昔の記憶がよみがえってむずかゆい気分になってきましたが、出口でもあれば入口でもある扉の扱いは所作とい意味も含めて丁寧に行いたいものです。


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選択肢。

世界の色んな局面において、二極化がグロテスクな程に鮮明になっておりますが、不動産投資においても例外ではありません。

 

ここ最近、地方都市の物件に調査や案内で行くことが多かったのですが、コロナもかなり抑えられているせいもあって、ターミナル駅周辺では以前の賑わいがだいぶ戻ってきたように思います。

 

それでも実際に物件のある場所へと向かう際に見えてくる外の景色は「なかなかに厳しい」ものがあります。

 

ひとつには、『旧市街地』の衰退です。

 

地方都市の『旧市街地』は、比較的駅に近いところもあれば、(旧街道沿いに早くから町が発展したために)駅からだいぶ離れたところもありますが、どちらにおいても歴史が長い分だけ古い建物が多く、道路が狭く込み入っています。

 

2000年に大規模小売店舗立地法(いわゆる大店法)が施行され、すでに車社会が当たり前になっていた現代において人の流れは街道からバイパスへと一気に向かいました。

 

今となっては、その景色たるや(かかっている看板こそ違えど)海外でも見かけるそれと何ら変わりがありません。


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それもこれも「効率化」がなせる業だと思うのですが、年々世界中の景色が似通っていく状況は果たして正しいことなのだろうかなどと思ったりもします。

 

もちろん「似通ったモノをたくさん作って、たくさん売った方が一番儲かる」というのは理解できるのですが、それが先鋭化すればするほど何かが(あるいは誰か)が貧しくなっているような気がするのは私だけなのでしょうか。

 

個人的には効率化の行きつく先は非効率だと思っているのですが。

 

けれどそれが当たり前となった現状における地方都市では「その似通った景色」の周辺部に限ってはまだ辛うじて賃貸需要を見込めるといった状況で、旧市街を含むそれ以外の所となってしまうとかなりの苦戦は必至です。

 

自治体や地元の人も色々と手をうってはいるものの、世の趨勢はあまりに強く、古い建物はそのまま放置されるか、解体するかの二択に迫られています。

 

「放置」にせよ「解体」にせよ、どちらにおいても文字通りの意味で「建設的」な話でありませんので、本質的には二択に迫られているのではなく「非建設的」な一択しかないことに悲哀があるのかもしれません。

 

不動産投資に関して言えば、土地勘のある地元の方ならともかく、そうでない場合は地図では分からないモノがより重要になってきているように思います。

もちろんその重要性は以前からもあったのですが、その重要度は加速度的に増しているように思います。

 

その一方で、リモートで出来る仕事が増えたり、会社に属さない働き方も着実に増えてきているので、これまでにはなかった動きが新たな「選択肢」を生み出す可能性もあると思っています。

 

さらに進んでいくであろう二極化にもしも抗えるとしたら、どちらが正しいと判断することではなく、そこに新たな選択肢を書き足すことだと思っています。

私自身もそうなれるように頑張りたいと思いますし、そうなるように頑張っている人を応援していきたいと考えております。


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もやもや。

業者と不動産投資家との関係は以下の等式に当てはまることが多いように思います。

 

業者≠不動産投資家

 

それぞれ年数を重ねてもこの等式に変化はなく、業者として5年働いたとしても不動産投資家の1年生には勝てませんし、不動産投資家を5年やったとしても業者の1年生に勝りません。

 

唯一例外があるとすれば、業者個人で不動産投資をしている場合かと思います。

 

たまに、

 

不動産投資家気取りの業者に会うこともあれば、業者気取りの不動産投資家にお会いすることもあります。

 

そんなときは、どちらにおいても何とも拭いきれないモヤモヤがついてまわります。

 

だからなのでしょうか、

 

不動産投資家からスタートして不動産業者になられた方は、説明を受けずともだいたい分かります。少なくとも養殖物と天然物の違いくらいはあります。

 

もちろん、業者と投資家のどちらが良くてどちらが悪いというのはありません。どちらにおいても経験しないと身につかないものがあるからそんな風に感じることがあるのだと思います。

 

身銭を切って不動産投資をやっているひとの「本当の」気持ちは一介の不動産業者にはわかりませんし、不動産投資を何年やったところで不動産業者の思いを「きちんと」掬い上げることは出来ません。

 

なにもそれは苦労や心配ばかりではなく、「楽しさ」においても同じことが言えるように思います。

 

ですので、生粋の不動産業者と生粋の不動産業者が同じことについて話していても、どうしても取り払えない分厚いアクリル板を間に挟むことになってしまいます。

 

だからと言って混ざり合う必要もなくて、お互いがお互いの気持ち本当に理解することは(きちんと経験しないと)出来ないという認識さえあればいいように思います。

 

それを、あたかも分かっているような素振りを見せるからモヤモヤしてしまうのです。

モヤモヤしてるのは私だけかもしれませんが…


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癖のある不動産業界ですが、同業者に対してはいくぶん寛容なところがあり、利益のからまないその入口部分においては「業者のものなんですが」の一言で、だいたい第一ボタンくらいは外してくれます。(外したうえでの門前払いもあります)。

 

その寛容さは「モード」に入らなくても済むささやかな安堵から来るのでしょうが、それを利用しない手はありません。

 

ですので、私の場合は第一ボタンが外れた隙にどこまで行けるかを探っています。

それが切っ掛けとなって新しい縁が生まれることもあれば、思わぬヒントが得られることもあるからです。

 

いい切っ掛けが必ずいい縁になるとも限りませんし、十年来付き合っている業者のなかには第一印象が最悪だったひともたくさんいます。

 

初めからそれが分かれば苦労はないのでしょうが、少なくとも自らの手で可能性の芽を摘むような真似はしたくないと考えております。


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アロハセンサー。

市況(特に金融情勢)に特に影響を受けやすい不動産業界ですが、収益物件を取り扱う業者の数はここ数年でだいぶ淘汰されたように思います。

 

長年の癖なのか、初めて会う同業者のひとに対しては「この人(もしくはこの会社)は5年後業界内に存在しているのだろうか」という観点でつい見てしまいます。

 

歳はあまり関係がありません。

初々しい新卒の人もいれば、それなりに歳を重ねたひともいます。

 

何かしら感じるものがある若いひとには「頑張って偉くなって下さい」と言いますし、私よりベテランのひとには「色々と教えて下さい」と頭を垂れます。

 

今はひと波過ぎ去ったあとなので比較的落ち着いていますが、金融情勢の変化によってまた「ブーム」らしきものがやってくると、嗅覚に「自信をお持ち」のギラギラした感じの人が増え、その人たちがやたらとエントランスが立派な不動産会社を作り上げていきます。

 

これは実に毎度のことで、そういった様を眺めているだけでも、業界の「加熱度」が推し測れます。

 

不動産業者におけるヒートセンサーはだいたい以下のように推移していきます。

 

level1

  聞き覚えのない「おしゃれな感じ」の社名をちょこちょこと耳にするようになる。少し前ならカタカナ(もしくは英語)で、今であればあえての平仮名でしょうか。

 

level2

それほど付き合いの深くないひとがそういった会社に入って稼いでいる「らしい」噂を耳にする。仮に不動君とします。

 

level3

不動君がやってきて、目下の事業内容を説明しながら得意気な表情を惜しげもなく晒し、時間の見づらそうな腕時計に目をやる。

 

level4

同業者の集まりやすい入札案件会場に「消しゴム」が似合いそうなスーパーカーがやってくる。

 

level5

「おしゃれな感じ」の会社内で独立問題が発生し、部下や顧客を引き連れていって関係性が悪化した挙げ句、本来外部とは関係のない内輪揉めのはずなのに「あそことは付き合わないで下さい」と余計なお節介を受ける。また、このタイミングで不正が明るみになることが多い。

 

level6

競い合うように黒づくめの服で社員旅行でハワイに行き、こんがりと焼けた姿でアロハポーズを決めた集合写真がホームページにアップされる。

 

level7

少し前から始まっていた女性社員による社内ブログの更新頻度が落ちていく。

 

level8

「諸事情により」社名もしくは代表者が変わる。

 

level9

音沙汰のなかった不動君から相談依頼が入る。(←いまココ)


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だいたいこんな感じていつも流れていくので、私はそれに合わせて物件を仕込んだり、売り急いだりしています。

 

個人的にはlevel5の独立問題による「あそことは付き合わないで下さい」までくると要注意の黄色信号が点り、

 

level6の「黒づくめのアロハポーズ」の段階までくると、頭のなかで警報ブザーが鳴っています。

 

そんなセンサーも働かせつつ「今のうちに売っておいたほうがいいですよ」などとお客様にお伝えもするのですが、素直に聞いて下さる方もいれば、「営業トークの一環」でしょと受け取られることもあります。

 

もちろん全てのひとに信じてもらえるとは思っていないのですが、やはりそこは人の子ですので、信じて下さった方にはつい肩入れをしてしまいます。

 

疑ってかからないのも問題かと思いますが、常に疑いっぱなしの人(結構いらっしゃいます)が「損をすることなく得をしている」かと言えば、必ずしもそうではないような気もします。

 

「今となっては売るに売れない物件」に出会う度、あのとき私の話を素直に聞いて下さった方に対しての義務は果たせたかな、などと思ったりもします。

 

それもひとつの縁だったり、運だったりもするのでしょうが、信じることよりも疑うほうが楽なので致し方ないことなのかもしれません。

 

それでも「そこ」をどう伝えるかが仕事なのだと思っています。

 

それに比べれば実在する不動君(仮名)の相談内容はあらかた想像がつくのでよほど気は楽なものです。


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