選択肢。

世界の色んな局面において、二極化がグロテスクな程に鮮明になっておりますが、不動産投資においても例外ではありません。

 

ここ最近、地方都市の物件に調査や案内で行くことが多かったのですが、コロナもかなり抑えられているせいもあって、ターミナル駅周辺では以前の賑わいがだいぶ戻ってきたように思います。

 

それでも実際に物件のある場所へと向かう際に見えてくる外の景色は「なかなかに厳しい」ものがあります。

 

ひとつには、『旧市街地』の衰退です。

 

地方都市の『旧市街地』は、比較的駅に近いところもあれば、(旧街道沿いに早くから町が発展したために)駅からだいぶ離れたところもありますが、どちらにおいても歴史が長い分だけ古い建物が多く、道路が狭く込み入っています。

 

2000年に大規模小売店舗立地法(いわゆる大店法)が施行され、すでに車社会が当たり前になっていた現代において人の流れは街道からバイパスへと一気に向かいました。

 

今となっては、その景色たるや(かかっている看板こそ違えど)海外でも見かけるそれと何ら変わりがありません。


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それもこれも「効率化」がなせる業だと思うのですが、年々世界中の景色が似通っていく状況は果たして正しいことなのだろうかなどと思ったりもします。

 

もちろん「似通ったモノをたくさん作って、たくさん売った方が一番儲かる」というのは理解できるのですが、それが先鋭化すればするほど何かが(あるいは誰か)が貧しくなっているような気がするのは私だけなのでしょうか。

 

個人的には効率化の行きつく先は非効率だと思っているのですが。

 

けれどそれが当たり前となった現状における地方都市では「その似通った景色」の周辺部に限ってはまだ辛うじて賃貸需要を見込めるといった状況で、旧市街を含むそれ以外の所となってしまうとかなりの苦戦は必至です。

 

自治体や地元の人も色々と手をうってはいるものの、世の趨勢はあまりに強く、古い建物はそのまま放置されるか、解体するかの二択に迫られています。

 

「放置」にせよ「解体」にせよ、どちらにおいても文字通りの意味で「建設的」な話でありませんので、本質的には二択に迫られているのではなく「非建設的」な一択しかないことに悲哀があるのかもしれません。

 

不動産投資に関して言えば、土地勘のある地元の方ならともかく、そうでない場合は地図では分からないモノがより重要になってきているように思います。

もちろんその重要性は以前からもあったのですが、その重要度は加速度的に増しているように思います。

 

その一方で、リモートで出来る仕事が増えたり、会社に属さない働き方も着実に増えてきているので、これまでにはなかった動きが新たな「選択肢」を生み出す可能性もあると思っています。

 

さらに進んでいくであろう二極化にもしも抗えるとしたら、どちらが正しいと判断することではなく、そこに新たな選択肢を書き足すことだと思っています。

私自身もそうなれるように頑張りたいと思いますし、そうなるように頑張っている人を応援していきたいと考えております。


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