入口と出口。

「道というのは入口と出口があって、そこを辿っていけば然るべき場所に行きつける通路のことだ。」

との一文が村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にあったように記憶していますが、不動産投資について考えているときにもよく思い出したりもします。

 

俗に言う「出口戦略」というものはとても大事だと私も思うのですが、「入口」次第で「出口」が大きく変わってしまうことを考えると出口以上に入口が大事であることは言うままでもありません。

 

土地神話が生きていた頃には入口を多少間違えてもある程度の出口は想定しやすかったと思いますが、その反面、神話があったぶんだけ余計に入口に対する注意が(本来的には)必要だったはずです。

 

そうは言っても神話に支えられた値上がりに飛びつきたくなってしまう気持ちも分からなくありません。

当時そういう言い方をしたかは知りませんが今で言うところの「持たざるリスク」という煽り渦のなかにいたわけですから、非常時における常識はやはり非常識だったのかと思います。

とはいえ「取りに行かないリスクのことをリスク」とも言えるわけですから、時は変われどつくづく物は言い様なのかもしれません。


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無理をして入ったは入口は後々まで尾を引きます。

投資期間を中長期に変えることで何とかなるときもあれば、何ともならないときがあります。

その無理を解消しようと設けられた出口はもうお世辞にも「戦略」とは言えないものになります。

 

運よく売却できればいいのですが、そうでない場合は、(売りたいときにすぐに売れない)不動産投資のデメリットである流動性低さがここぞとばかりにネックとなってきます。

 

入口を間違えたと何となく分かっているひとでも、やはり基準となるのは「自分が買った値段(入口)」ですので、私の方から「今その値段で売るの難しいですよ」とお伝えしてもなかなか素直に聞いてもらえないこともよくあります。

 

もちろんすぐには聞き入れられないことも仕事の内だと思っているので構わないのですが、媒介(売らせて頂く契約)を取りたいがために「とても売れるとは思えない」査定金額を提示する仲介会社の方が私としてはよほど信用なりません。

「売れない金額で」情報を世間に晒した挙げ句、「反響がいまいちなので(買価を)下げましょう」って、大事にな物件に対して『売れ残りシール』をベタベタと貼っていることに等しいんです。

 

誰がそんな物件を買いたいと思います?

 

そんなことをしたら売れる物さえ売れなくなってしまいます。

 

長年、収益物件の仕入をやってきたからなのか、仮に入口を間違えていなかったとしても「出口」はとても慎重に行います。それこそ裏口からこっそりと出て行くような気分です。

 

そして人目のないところで「それを買いたいひと(もしくは会社)」にこっそりと引き渡します。そうすることで物件を晒し物にすることなく、多くの投資家さんが望まれる「未公開物件」を新しい買主様に引き継いでもらっています。

 

入るときはとても慎重なのに出口はものすごくダイナミックに出て来られる方によくお目にかかるので出来ることならそれは止めたほうがいいように思います。

 

なんだか勢い任せに玄関扉を閉めて母親に怒られた遠い昔の記憶がよみがえってむずかゆい気分になってきましたが、出口でもあれば入口でもある扉の扱いは所作とい意味も含めて丁寧に行いたいものです。


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