下駄。

破産という言葉にポジティブな印象は全くないですが、この仕事をしていると耳にすることはけっこう多いものです。

 

しかも社会的な信用が比較的高い仕事に従事している方がそういった憂き目にあっていることが多いことがそれに付け加えるべき特徴でしょうか。

 

社会的信用度の高い仕事をしているがために「高属性」として扱われ、多少なりとも(いや、相当に)他のひとたちよりも「下駄を履かされて」金融機関に迎えられるので、かえって注意が必要です。

 

そういった皆さんが「大事に扱われる」=「自分は特別」と思っているわけではありませんし、きちんと「差し引き」をした上で自身の高属性を利用しているもたくさんいます。

 

しかしその一方でとても安易に「高属性の罠」にはまってしまうひとが皆さんが思っている以上に多いことも確かです。

 

「借りられる=すごい」のではなく、

「借りられる=(だからこそ)注意が必要」なのだとこれまでに何回思ったことか分かりません。


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今日も弁護士経由で医療従事者の方の「準」破産案件が来ました。

 

支払いはすでに滞り、順当な不動産価格の倍以上の残債務がありました。

すでに銀行債権はサービサー(債権回収会社)に渡り、弁護士も自己破産を勧めているらしいのですが、当人は破産だけは絶対にしないと言っているそうです。

 

三者的には破産した方がいいのではと思うのですが、ネガティブな印象があまりに強いのか、本人のプライドがそれを許さないのかは分かりませんが、仮に債権者の同意を得て不動産を売却できたとしても多額の債務は残り続けてしまいます。

 

それを何年も何十年もかけて払い続けるのは至難の業ですし、心身はもちろんのこと本業にも影響しかねません。

 

あるいは、自分が失敗したことを単に認めたくないだけなのかもしれませんが、「結果」が出てしまった以上、「認めない」ことの方がどうしても無理があります。

 

これまでのブログにもさんざん書いてきましたが、「簡単に借りられるときこそ本当に注意」してほしいものです。

 

額は違えど、原理としてはリボ払いの沼にはまってしまった若いひとと何ら変わりがありません。

 

個人的には金融のリテラシーを高める学校教育があってしかるべきだと思うのですが、なかなかそうはなりませんし、それがないままに社会に出て、あっさりと足枷をはめられてしまった若い人たちを「自己責任」で片付けるのはやはり無理があると思っています。

 

昔なら「子供相手に商売なんて」といった発想はまだあったのでしょうが、いつの頃からか「子供までが格好の商売相手(消費者)」になってしまいました。

 

軽微な罠ではっとした若いひとは「勉強代」として片付けられるのでまだいいのですが、それがないままに大きな罠にはまってしまった大人の場合は勉強代では片付けられない辛さがあります。

 

もちろん「そこだけを狙った」不動産業者もたくさんありますし、少し前までは本当にたくさんありました。

 

本業が忙しいぶん不動産業者にお任せなひとが多いうえに、融資でコケる確率が低いので効率を求めればどうしてもそうなってしまうのです。

 

そんな大きな事故に合わずとも、下駄を履いて目線を高くしたところでいいことなんて何もないような気がします。

 

とは言え「分相応」というのは、口で言うほど簡単なものではないですし、勝負は「下駄を履くまで分からない」という慣用句もあるくらいですので、下駄(あるいは下駄が意味するもの)はつくづくは厄介だなぁと思います。


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