物語。
高利回りの物件はリーシングさえ上手くいけば短期で投資資金を回収出来るので大変魅力的ですが、「訳あって」利回りが高いのですから、その「訳」とどう折り合いをつけるかがとても重要になってきます。
すでにそういった物件を何棟も所有されている方はそのへんの事情をよく理解なさっているかと思いますが、
融資が厳しい→小振りな物件に現金を突っ込む→投下資本の早期回収を目指す
と安易に考えてしまうと、不労所得を簡単に得られるどころか精神的にまいってしまう事態になりかねません。
基本的に家賃と住まわれる方の属性は相関関係にあると思いますし、ましてや立地や間取りが厳しくて、案内さえなかなか入らない部屋に申し込みが入ろうものならつい浮き足だってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。
保証会社の審査さえ通れば、きっと大丈夫。
だいたいそのあたりから確証バイアスにエンジンがかかり始めます。
管理会社のひとも普通のひとって言ってたし。
普通のひとが通常ですし、そもそも普通が何を指しておるのかがよく分かりません。
嫁の誕生日に申込みが入ったのだからこれも何かの縁なのかもしれない。
本当に良縁であればいいのですが、その反対ですとせっかくの誕生日に余計な意味がついてしまいます。
考えだしたらキリがないのですが、身銭を切って物件を買ったのですから気持ちとしてはとてもよく分かります。
身銭を出している以上、会社のお金で物件を売ったり買ったりしているひとたちよりも切実です。
その一方で、自身の工夫と努力次第で結果をダイレクトに受け取れるという楽しみもあります。
なので、そこらへんを「楽しめない」方ですと、なかなか厳しいような気がします。
管理会社がいけないに始まり、こんな物件を紹介した仲介会社をうらむことになって、買うことを止めなかった嫁さんを責めることにもなりかねません。
そうなってしまうと不労所得どころか、労働時間外の重労働になってしまいます。
以前、売りに出していた物件で、立て続けに薬物使用者が検挙されたと思ったら、今度は独り身の方の交通事故死が発生したことがありました。
もちろんきちんと事後の対応はしましたが、さすがに何がいっぺんに起きすぎだろと思いました。
それでも確率として「これだけ偏って」いるのだから、きっとアク抜けしたに違いないとどこかで楽観もしていました。
その通りだったのかは分かりませんが、ほどなくしてその物件は当初の希望値のまま私の手から離れていきました。
それから2年が経ち、その物件がつい先日「新しい売り物」として私のもとにやってきました。
もちろん売った値段も知っていますし、それ以上の金額でしたので、「情報としてただ眺めた」にすぎないのですが、あまりに色んなことのあった物件でしたので、当時のことをとても懐かしく感じてしまいました。
これも何かの縁なのかとつい思ってしまったものの、ブログの「再会」でも書いたようにこれはとてもよくあることなので、それ以上考えることは止めにしました。
もしかすると、私に限らずひとは事実以上に「物語」を求めているのかもしれませんし、あるいはただ単に同じ物件が出たり入ったりしているせいでそう感じてしまうのかもしれません。
「物語」を通じて事実の理解が深まるのはいいと思うのですが、事実の物語化だけは避けていきたいと改めて思った次第でした。