雨。
雨降りが続いてます。
雨が運んでくる静かな喧騒に趣きを感じないわけではないのですが、傘が苦手な私にとってはひどく面倒でもあります。
静かな喧騒くらいならまだしも、昨今の振り方はそれどころではなく、すっかり東南アジア化してしまいました。
一気に降った雨は、河川の処理能力を超え、人家に押し寄せてきています。食料を失った熊が町に下りてくる構図となんとなく似ていると感じるのは私だけかもしれませんが、これまではそれなりに維持されてきた区分線みたいなものが壊れてきているのはどうやら確かなようです。
その区分線とはそれぞれの秩序を維持するものだったり、棲み分けだったりもすると思うのですが、ハザードマップで水害リスクを説明することが不動産取引においても義務化されたのも当然といえば当然かと思います。
私の場合、耐震についても旧耐震・新耐震だけではなく、そもそも「どういった土地」に建っている建物なのかはとても気にします。
いくら長大な杭が打たれていたとしても、その土地が軟弱なのであれば、私はそもそも地盤の固いエリアを選びます。
そうなると自ずとあまり地盤改良されてこなかった丘陵地になるわけですが、過度な丘陵地になると、今度は「坂」の問題が生じてくるので、その中間くらいを好んでいます。
駅の位置などによってはあまり「坂」を感じさせないところもあるので、そういったところは貸すにしても住むにしても非常にありがたいと思っています。
ですので、谷底に駅がある渋谷みたいなところは、事務所を構えるにせよ住むにせよあまりいい所だとは思っていません。
そういったものは元々持っている人間の感性なのかもしれませんが、都心のど真ん中にあるような豪邸街もちゃんと小高い丘の上に広がっています。(ま、電車に乗ることもないでしょうし)
だいたいそういったところはかつての武家屋敷跡だったりするので、小高い丘の上に住みたがる傾向は何も現代に始まったことでないのかもしれません。
それでも高度経済成長期にはそんなことも言ってられず「確保」が最優先事項となって、今となっては「こんなところにどうやって造ったんだ」と思わず唸ってしまうような建築物も沢山あります。
時が流れて「確保」の優先順位が下がれば下がるほどに、やはり人は基本に戻っていき今度は「これをどうやって壊すんだろう」と違う意味で唸ってしまいます。
所有者責任において、きちんと解体までいけばいいのですが、経済的な理由から放置されたものは至るところにあり、それらが自然災害に見舞われたときに、天災と人災の区分線をより曖昧まものにしています。
勢いがあるときに節度を持って開発をすればよかったのでしょうが、そもそも節度を超える状態が「勢い」なのであれば、致し方なかったような気がしないでもありません。
ようやっと相続登記の義務化(2024年~)など、法整備も進みはじめてはいますが、そのスピードはやはり遅く、自然環境の変化にまったく追いついていないような気がします。
ですので、相続をさせる気も、する気もない不動産に関しては早めに手を打っておいた方がいいのかもしれません。
そこに欲があれば「勢い」もつくのでしょうが、そうでないとなかなか重い腰が上がらないのは何も私だけではないでしょうが、そうこうしているうちに、雨水が堤防を超え、熊が山から下りてきてしまうかもしれないと考えると、雨音に趣きを感じている場合ではないのかもしれません。