念。
かつてテレパシーというものを体感したことがあります。
前を歩いていた知人に話し掛けようと思っていたらその内容に適合する返答が先に戻ってきて、振り返った知人と会話の擦り合わせると一言一句おなじで、二人してその場から走って逃げた覚えがあります。
走って逃げることにどれ程の意味があるのかはわかりませんが。
だからという訳ではありませんが、個人的にはそのテのことはわりに信じられます。
そんなこともあるんだろうな、と。
不動産を仕入れる上で意外と大事にしているのは登記簿謄本の流れです。
変な登記がついていないとか、抵当権が抹消できるのかなどはもちろんですが、所有権が転々としていたり、すでに抹消はされていてもかつて差押や競売による所有権移転等がついているとあまりいい感じがしません。
俗に言う、謄本が汚れている
状態で、短期転売を含めてあまり事がスムーズに進んだ覚えがないからです。
もちろん競売などで所有権が転々としていると本来あるべきはずの竣工図などの関係書類がなくなっている可能性が高いのですが、差押等のネガティブな登記の跡があったりすると現在においても建物の状態があまりよろしくないケースがとても多いです。
もちろんお金に困ったからこそ差押という流れになったので仕方はないとおもうのですが、いくら表面をきれいしても躯体なり配管などで問題が生じることが多いです。
差押まで行かなくとも、短期に所有権がころころと替わっている物件に関してもあまり愛されることなく人の手を渡り歩いているせいか、実年齢以上に老けてみえることがよくあります。
なので、登記簿謄本の流れについてはとても重要視しています。仮に買えたとしても、
手離れが悪い
イメージがどうしてもしてしまいます。
そこにひとの思いなり、念が関係しているのかはどうかはわかりませんが、不動産取引は水物なので結構気にされている業界関係者の方も多いと思います。ですので、
きれいな謄本を見るとついテンションがあがってしまいます。
なんとなく物語がこれから始まるような気がするからです。
もしかすると、売買でも賃貸でも新築にプレミア価格が乗っかっているのも単にピカピカだからだけではないのかもいれません。
人の生理としてそれくらいの価値増加は当たり前といったものが意識のどこかにあるのかもしれません。
そういった意味で(汚染とは別に)土地の地歴というのも大事なのかもしれませんが、特に都心に関しては、あれだけの戦災があって誰も亡くなっていない土地なんてあるのだろうかと思ってしまうのも確かです。
だからなのでしょうか、東京の下町あたりでやたら区画のきれいなところを歩いていると、どれだけ戦禍が激しかったのだろうかと思ってしまい、区画のきれいさに心地よさを覚えることはあまりありません。
汚い謄本に警戒心を覚え、きれいな区画に心地よさを感じないまでも「仕方なさ」を覚えてしまうのはもしかしたら矛盾していることなのかもしれませんが、
そこになんらかの欲
みたいなものが絡んでくると、話はべつのような気がします。
なんらかの欲による謄本(ひと)の足跡と、はからずも戦禍に巻き込まれたひとでは全く違うように思えてしまうのです。
もちろんそこで命を落とされた方の無念さも当然あったかと思いますが、少なくとも自発的なことの結果ではなかったのではないでしょうか。
個人的に株式投資もするのでよく分かるのですが、「欲」とは非常にやっかいなものだと思います。
数多ある宗教で「律すべきは欲」と説いているのもそれくらい欲がやっかいなものであることの証左なのではないでしょうか。
誰がかいた欲の残骸をどうやって再生させるのかも仕事のうちだと思っていますが、まず出来ることと言えば、ハード・ソフト両面の問題点の改善と空気の入れ換えくらいで、そこから徐々にでもいいので、「欲」に成仏してもらいたいと思っております。
憎むことであいつに縛られないで
とかつて歌ったのは中島みゆきですが、成仏するのは何も魂だけではなく、もしかしたら「ひとの思い」も同様なのかもしれません。