橋渡し。

業者から出てくる物件と個人投資家が求めている物件の利回りの乖離がなかなか埋まりません。

 

都心に限っては、待ってられない買主さんが売主さんの希望価格に吸い寄せられている感がありますが、郊外・地方の収益物件に関しては、大河を間に挟んでお互いに見つめあっている様な状態にあります。

 

景気や金融情勢により、普通どちらかが寄っていくものですが、なかなかそうはなりません。

 

いずれどちらかが動くことになるかとは思いますが、いましばらく続きそうな気もします。

 

この生暖かい感じは、コロナによって作り出された官製ユーフォリアなのでしょうが、それがひどく人為的であるぶん、きれいに着地できるのかがとても心配です。


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学生時代にバブルが弾け、

 

次のバブルは現役世代の大半が交代する頃まで来ないんだろうな

 

と思ったのをよく覚えています。

 

当時の40~50代が70~80代になって、かつて感じたはずの熱狂と興醒めは、今やおじいちゃんやおばあちゃんの思い出話となりました。

 

同じ轍は踏まない。

 

大昔から人はそうやって経験や歴史を教訓にしてきたはずですが、なかなかどうして人は踏みたくなくても同じようなところをつい踏んでしまう生き物なのかもしれません。

 

物上げをしていると、そんなおじいちゃんやおばあちゃんと話すことがよくあります。

 

「ちょっと前までは、若い女の子なんかも結構入ってくれてたんだけどね」

「どれくらい前ですか?」

「20年くらい前かしら」

 

20年がちょっとなのかどうかはさておき、皆さん昔のことはよく覚えています。

 

もちろん「今はそうじゃない」ということは認識してらっしゃるのですが、時代の流れとご本人の中に流れている時間の流れに少なからず齟齬が生じているような印象を受けるのも確かです。

 

その齟齬は多かれ少なかれ私のなかにもあるのでしょうが、そうやって人は社会的な立ち位置を徐々に若いひとたちに譲っていくものなのかもしれません。


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少し前の熱狂といえば、スルガ銀行に群がったひとたちなのでしょうが、かぼちゃの馬車案件に関しては代物弁済(物件を渡すことで借金をチャラにすること)を認めたのには大変驚きました。

 

昔に比べ、不良債権処理のスキームもしくはスピードが向上(?)したからなのでしょうが、

 

世の中ずいぶん優しくなったなー

 

という印象は拭えませんでした。

 

一棟物はどうするだろう?

 

と思っていたら案の定そちらへも飛び火し、スルガ銀行株主総会で罵声と怒号を繰り返したらしいのですが、さすがにお菓子をねだる子供のようでみっともない気がします。

 

「エレベーターが既存不適格であることを後から聞かされた」

 

顔を隠した状態でそう答える被害者(?)の方がいましたが、

 

よほど新しい物件でない限り、(エレベーターの)法令の変更による既存不適格はよくあること

 

ですし、それをもって騙されたと言い張るのはだいぶ無理があります。

少なくもエレベーターの定期検査報告書には書いてあるはずですから。

 

それでも、「素人を相手に」とおっしゃるのであれば、それは投資ではなく、

 

「誰か何もせずにお金くれません?」

 

と言っているのと同じです。

 

弁護士は正義の見方という、幼い頃に感じていた幻想はとうになくなっていますが、「大の大人が」という言葉も最近聞かなくなった気がします。

 

無理をすれば無理が生じる。

 

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決して無理をすることなく、物件の橋渡しが出来たらと思っております。