ショートケーキの苺。

炎上商法と呼ばれているものが世間を騒がせています。仮に意図したものだったとしてもそれが「商法」になり得るのかはよく分かりません。私には「一通り稼いだので、好き勝手言わせて」と言っているようにしか思えませんでした。

 

メンタリストDaiGo氏の以下の発言についてです。

※すでに知っている方は太字部分を飛ばして下さい。

 

「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃない。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい。生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽い。だからホームレスの命はどうでもいい。言っちゃ悪いけど、どちらかというホームレスっていない方がよくない?正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」 「社会にそぐわない人間を処刑して生きてきてる。犯罪者を殺すのだって同じ」

「社会的に排除すべきと言っているわけではない」

「制度自体を批判したいわけじゃない」

「社会全体ではないが、個人としては命の優劣がある」

「迷惑をかけてる人もいる」

「究極の選択をしたら、いらない存在になる」

「残念ながら僕を叩いている人よりも、僕は彼らのことを保護してますよ」

「何でかって言うと、税金めちゃくちゃ払ってるから(…)こんな炎上に参加している人に聞きますけど、じゃあホームレスとか生活保護の人たちに寄付しました?たくさん税金払いました?その人たちのために炊き出しとか定期的にやったりしているんですか?そういう人は僕のことを叩けると思います」

「僕は個人的に思うので、そう言っただけなので、別に謝罪するべきことではないと思いますよ。みんなも言うでしょ?『あいつ死んだ方がいいのに』とか言うでしょ。同じよ」 「個人の意見なので扇動してるわけではない」

「言っちゃいけないっていう法律ないですよ」

「僕、危険思想持ってるんで真に受けないでくださいね」


f:id:BaseCompany:20210813152636j:image

…まさに世も末というか、資本主義社会もここに至れりって感じですね。

 

影響力を持っているひとが「真に受けないで」って、『じゃあ公に言わなきゃいいじゃん』って話だと思いますが、それを公にしてしまうところを見るとよほど自己顕示欲が強いのでしょう。

 

多額の税金を納めていることに間違いはないのでしょうが、だからって、生活保護受給者やホームレスのひとたちの命はどうなってもいいと言い放つ権利はどこにもなくて、もしそんな権利があるのであれば、

 

税金を納めなくてもいい変わりに消えてくれるんですか?

 

ってことも成立してしまいます。

いくら多額の税金と引き換えであっても命は差し出さないでしょう。なんのための納税免除かわからなくなってしまいますから。

 

そもそも人なんて物理的存在であると同時に相対的存在でしかないと思うんですよね。

「私」がいるから「あなた」がいる。

「あなた」がいるから「私」がいる。

「こんな僕」がいるから「そんなあなた」がいる。

「そんなあなた」がいるから「こんな僕」がいる。

 

哲学的な観点から言えば、

「いなくなってほしい人」がいなくなると、今の「あなた」も存在し得なくなってしまいます。メンタリストなる職業の方に哲学は不要なのでしょうか。

 

働き蟻の理論でもよく出てきますよね、

「働かない一匹を摘まみ出しても、残りの蟻なから働かない蟻が一匹現れる」って。

 

必要だからそこにいるのであって、ひとりのホームレスがいなくなっても、もうひとりが現れるし、ひとりのメンタリストがいなくなっても、もうひとりが現れるだけです。

 

DaiGo氏本人は自分のことを「余人に代えがたい」と思っているのかも知れませんが、原理としてそれは誰にでも当てはまることで、それを強く思ってしまうのは、ありあまる自惚れと自己顕示欲でしかありません。

 

よく、不動産投資で成功したひとのなかでも主に税金の観点から海外に移住する人がいますが、正直あまり賛同出来ません。

 

もちろん、当人の努力や運を否定するわけではないのですが、

 

それを実現できる土俵がすでにあった

 

という観点はないのでしょうか?

 

徴兵もなければ、戦争もなく、飢餓もなく、義務教育もあれば、経済活動の自由もあって、世界屈指のインフラ設備もある。

 

私だって税金は安いに越したことはないし、その使い道に憤りを覚えることもあります。けれど「本人の努力と能力(もし本当にあれば)」を盾に海外へ逃げて行くというのは、ショートケーキの苺だけを食べているのとどこがどう違うのでしょうか?

 

「苺」があってはじめて「ショートケーキ」になりもすれば、その土台があってはじめて「苺」は「ショートケーキの苺」になれるのです。

 

もしも日本中から「ショートケーキの苺」がなくなってしまうのであれば、頑張って「次の苺」になるか、「次の苺」が生まれる土壌を作るしかないと思っています。


f:id:BaseCompany:20210813163121j:image