捨て鉢。
どうして損をすることに敏感なくせに、
その損が大きくなればなるほど、大胆というかお目出度いくらいに楽観視してしまうのはなぜだろう?
そのもやもやを説いてくれたのが、
ダニエル・カーネマンの著作、
『ファスト&スロー』
でした。
彼はプロスペクト理論でもってノーベル経済学を受賞するのですが、理論そのものは至るところでいろんな人が解説しているのでそちらを参照してもらえればと思います。より学術的ですので。
「きっと大丈夫」
たいした根拠もなくそう感じた思いは、もともとなかったがゆえに、その根拠探しの旅に出ます。
その旅で得られたものでもって、
「やっぱり大丈夫」
そう思おうとすることが、「認知バイアス」のかかった状態なのだと思うのですが、なにもそれは投資やギャンブルに限らず、日常的にやっているような気がしないでもありません。
妻「今日は雨が降るらいしから傘持ってて」
夫「大丈夫、降らねぇから」
降らない根拠探しもせず、たまたま雨に降られずに帰宅した夫は、ただ運がよかっただけなのかもしれませんが、その運が多くの要素に多大な(ほとんどにと言ってもいいくらい)に影響していることも、ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』のなかで説いてます。
中程度のひとはともかく、大きく成功したひとが、
「運がよかったんですよ」
と言う意味がなんとなくわかったような気がします。また、
萩本欽一さん(欽ちゃん)が昔、
「プラスが大きければマイナスも大きくて結局みんな一緒なんだよ」
と言っていたことを思い出しました。
学術的に理論化されてなくても、一成功者(功労者)として体感なさっていたのでしょう。
それでも、歩かない犬は棒にも当たらないように、何もしないことには運も作用のしようがないこともきっと確かなのだと思います。
雲の垂れ込めるなか傘を持たずに家を出ることも、不動産投資を始めることも
リスクを取る
ことに他なりませんが、大事なのは、
「雨が降ると言われたのに傘を持たずに家を出た」
「損をするかもしれないのに不動産投資を始めた」
と認識することなのではないでしょうか。
そうしないうえで運が味方をしてくれないと、雨に降られた夫は妻を無駄に責め、売却もままならない個人投資家は業者(もしくは銀行)を無駄に責めることにもなりかねません。
「言ったじゃない」
そう言われて、仕方なく
「たぶん止む」
「なんとかなる」
と、捨て鉢にならないようにしたいものです。
大事なことは小さな声で語られる。
(村上春樹)
まずは、「聞く」ことから始めたいと思います。